シャルレプライド(シャルレで生まれた絆)

お母さんは太陽だから

O 特約店

私のSOSに最初に気づいてくれたのは、月に一回家に来てくれていたシャルレのI特約店でした。

当時、我が家の長男は、学校に行けない不登校児でした。

「学校に行けない。怖いから・・・」
私は、そういって吐くほど泣いて苦しんでいる息子に何もしてあげられず、息子の苦しみをわかってあげることもできませんでした。ただ、毎日パジャマを着たままの息子を見ることが辛くて辛くて、自分自身が苦しんでいました。

「シャルレの代理店をされている方の事務所がすぐ近所にあるんだけど、一緒に行ってみない?」と、I特約店は私を外に連れ出してくれました。

訳もわからず事務所に行かせていただき、玄関先で初めて代理店にご挨拶させていただきました。
そして第一声が・・・

「あれ?○○さん、もしかして、事務所の西側の道を、毎日子供さん自転車に乗せてこんな顔して通っていません?」
と、眉間にしわを寄せた顔をされたのです。
「え?! たぶん私だと思います・・・」
そう答えるのが精一杯でした。
私は長男のことで、笑うことをすっかり忘れていたのだと思います。

「お母さんは太陽。いつでもどこでもニコニコ笑ってないとね。
いいことがあるから笑うんじゃない。笑っているからいいことが寄ってくるのよ。
もっと自分を見つめて変わる努力をしましょう。自分のためにも。子供のためにも。」

一目で見抜かれ核心を突かれた私にとっては衝撃的な出会いでした。
そして、代理店は私を温かく迎え入れてくださいました。
「良ければここに勉強しに来ませんか?」
私は自分が変わるチャンスをいただいたのです。

また、代理店は息子にも会ってくださいました。
「こんにちは!A君。お母さんは、これからおばちゃんのところで勉強するからね。
A君も応援してあげてね。よろしくね~」と、握手をしてくれたのでした。

それが、私とシャルレとの出会いでした。
仲間もたくさんでき、一緒に笑い一緒に悩み、自分の事や周りの事が少しずつ見えてきた時ふと気づきました。
「笑顔があれば、自分が変わる。自分が変われば相手が変わる。相手が変われば運命が変わる。」
「頑張らないといけないのは、私自身なんだ!」と・・・
息子の事で悩んでいた自分に少しずつ笑顔が戻り、自信がついてきました。
そして、夢や目標を持つことの素晴らしさも教えてくれました。

「お母さん変わったでしょ?お母さん頑張るからね。応援してね。」息子にそう言って家を出るようになりました。

そんなある日、不思議なことに、息子が代理店の事務所に通うようになりました。近所の面白いおばちゃんのうちに遊びに行く感覚だったのかもしれません。
ラジオ体操のように出席カードを用意していただき、ハンコが押されたカードを嬉しそうに持って帰ってきました。
そんな毎日を過ごしているうちに、息子が重い重い一歩を踏み出しました。
学校へ行くようになったのです。最初は、1日行って1日休む。そのうち、2日行って1日休む。やがて3日行って1日休む。無理して行ってるのではないだろうか、苦しそうで私は不安でした。

ところが、ある日息子が言いました。
「俺、30日も学校行ったよ!30日も行ったんだから、明日も行けるさ。」
うれしい一言に涙が止まりませんでした。

少しずつ目標をクリアしていく息子は、力強く、まぶしく思えました。
そして、「学校って大切なとこなんだね。どうして1年半も学校に行かなかったんだろう」と。

私も息子もたくさんの方に心配をかけ、たくさんの仲間に励まされました。
6年生最後の運動会では、学校の白組応援団長に選ばれ、立派に選手宣誓・応援合戦の指揮が執れ、その姿にたくさんの方が涙してくださいました。

息子は今、中学校の体育の先生になりたいと、大学に通っています。

先日、息子が久し振りに代理店の事務所に訪れた時のことです。
代理店から
「A君。もし学校へ行きたくない!って生徒がいたらどうする?」
と聞かれた息子は、こう答えました。

「ここ(事務所)に連れてくる」と。

あの日からあの出会いから・・・
学校では教えてくれない大切なことを教えてもらった。
自分自身を変えようとした。変わろうとした。変わり続けた。
そして、自分自身が変われた時、不登校の息子も変わることができた。
私も息子も苦しかったけど、学校に行けなかった1年半は無駄ではなかったと思う。いろんな人が手を差し伸べてくれ、チャレンジする勇気や自信を与えてくれた。

だから・・・
今日も明日もずっとニコニコして過ごしていきたいと思います。

新着

生まれて来てくれてありがとうね

K特約店 今から18年前、当時私はシャルレのメイトとして、知り合いのA特約店さんから商品を購入してい...続きを読む

理想の子供

S特約店 初めての子供は女の子でした。 必死で小さな手足を動かす赤ちゃんだったのが、つかまり立ちを覚...続きを読む

生きがいを持ちながら

I 特約店 私が70歳の時に、医師だった主人が亡くなりました。 泣き悲しんでばかりいられないと介護の...続きを読む